倉敷市藤戸には1184年に行われた源平合戦の史跡が残されています。当時ここは小さな島が点在する海でした。
佐々木盛綱、海を渡る
源平合戦史跡をこの藤戸寺を拠点に徒歩で巡りました。
藤戸寺は高野山真言宗の寺で、このあたり一帯がまだ海だった頃、千手観音の霊像が浮かび上がったとされています。源氏方の武将、佐々木盛綱が源平両軍の兵と自分が殺めた漁夫の霊を弔うために大法要を行った寺でもあります。
付近には倉敷川にかかる盛綱橋。藤戸寺は正面に見える。トップ画像に据えた佐々木盛綱の出来の良い銅像が飾られている。
橋の欄干には海を渡る盛綱の姿。佐々木盛綱は平氏を破った英雄を称えている。
県道22号線沿いにある乗り出し岩。
源平両軍は藤戸海峡を挟んで対峙していた。船を持たない源氏に、平氏は船を漕ぎ出して渡って来いと挑発し、戦況は膠着状態だった。そんなとき、佐々木盛綱は地元の漁夫から対岸に通じる浅瀬を教わる。これにより、盛綱は岩の上から馬で飛び、先陣の功を立てて平氏を敗走させた。
岩がごろごろ。このどれかに馬の蹄の後でも残っているのだろうか。劉備檀渓を飛ぶを彷彿をさせる遺跡だ。
藤戸寺の東、倉敷川のほとりにある経ヶ島
源氏を勝利に導いた盛綱だが、浅瀬を知られまいと漁夫を亡き者にした。翌年、戦勝の功績で児島郡の領主となった盛綱は漁夫の供養のため藤戸寺で法要を行い、写経をこの島に埋めたので、経ヶ島と呼ばれる。当時は海に浮かぶ島だったのだろう、現在は海の名残は無い。
頂上に石灰岩で造られた二基の印塔があるが、小さい方が漁夫の供養塔らしい。戦中とはいえ、浅瀬を教えた漁夫が哀れだ。
浮州岩。
潮の満ち引きに関わりなく常に海面に出ていたことから名付けられた。今も京都の醍醐寺三宝院の庭に置かれている。三宝院のホームページで藤戸岩の名前を確認できた。当時は海だったが、今は田んぼのど真ん中にあるというのが面白い。
平家本陣跡。
小高い丘の上にある。当時はここから周囲の様子がよく見渡せたことだろう。石碑が立ち、地蔵が祀られている。平家が篝火を焚いたことから篝地蔵と呼ばれている。
敷地はとても狭い。当初、マップを見ながら近くまで到達したものの、この場所を探し出せずその辺を歩いていたおっちゃんに平家本陣跡はどこですかと訊ねたら知らんと言われて首を捻った。しかし、ふと振り向けばそこに石碑を発見。えー、まじか・・・と思った瞬間だった。中国の遺跡巡りあるあるを体感してしまった。
藤戸の名物 藤戸まんじゅう
藤戸寺最寄りに藤戸まんじゅうの本店がある。藤戸寺で漁夫の法要が行われたとき、民家からまんじゅうが供えられたのが起源という。元禄時代までは藤戸寺境内の茶店で売られていたが、江戸時代にはまんじゅう小屋で売るようになり、現在に至る。とても歴史がありますね。
史跡はまだあるので後編に続く。
0 件のコメント:
コメントを投稿