三国時代魏の武将、張遼が活躍した合肥の戦いの舞台である逍遥津は公園として整備され、張遼衣冠塚や張遼墓などの三国志遺跡があります。逍遥津周辺を散策してみましょう。
合肥の戦いの舞台、逍遥津
214年呉の孫権が曹操の漢中侵攻の隙をついて合肥に侵攻した。その数10万の大軍。対する魏軍は張遼、李典、楽進らがわずか7千の守備兵のみ。曹操より「賊が来たら開けるように」と言われていた箱があった。中には「孫権が攻めてきたら張遼、李典は城を出て戦え、楽進は守りを固めるように」と指示があった。平素から仲が悪かった(笑)3人なので、張遼はこの命に2人が従わないのではと懸念したが、李典は「国の大事」と大人の対応を見せる。
かくして張遼は800名の勇士を集めて牛を殺して振舞い、翌朝孫権を襲撃した。孫権は驚いて逃げ出す。張遼は包囲を突き破り、孫権を追い詰めたが取り逃がしてしまう。孫権は合肥の城を落とすことができなかった。
寡兵で大軍を破る戦いは爽快で、張遼の武勇伝が光る合肥の戦い。孫権を追い詰めた逍遥津は公園となって人民の憩いの場です。黄色が印象的な門をくぐると張遼像が通りの中央に堂々と立っています。
園内マップ。古いものが更新されていませんね。張遼陳列館は以前訪問したら謎のお化け屋敷になっていました。湖の中央に張遼衣冠塚、西北に張遼墓があります。今回は時間はタイトで入口付近のみ散策。
逍遥津公園の入り口にいた健康おじいちゃんにびっくり。木の枝でぶら下がり体操中。どうか末永くお元気で。
張遼に立ち向かう孫呉の民…ではなく、公園で太極拳をするマダムたち。強そうですね。好きな音楽を大音量でかけながら楽しんでいました。中国の朝の公園はこのような光景がどこでも見られて元気だなあと感心します。
孫権が飛んだ飛騎橋
張遼に追われた大ピンチの孫権が、落とされた橋を馬で飛び越えた場所に石碑が建てられています。石碑にはエピソードの紹介もあります。今は川も橋もなく、裏路地になっています。逍遥津公園のある表通りと淮河路側と2か所あります。
飛騎橋石碑の付近にはイスラム寺院があり、朝は羊肉をつるして量り売りする風景が。都会の中でもこのような風景が残っているのは面白いですね。
ちなみに夜は羊肉の屋台が出ていました。肉厚で結構美味しかったです。6本20元。一人でもペロッと食べられました。
逍遥津公園の中にも飛騎橋がありますが、こちらは公園に造られたなんちゃって橋でしょう。
曹操が弩を調練した曹操教弩台
逍遥津公園から徒歩5分程度で曹操教弩台があります。曹操がここに立って弩の調練をしていたとされています。その立派な台の上に明教寺が建てられています。拝観料は10元。最近リニューアルされて綺麗です。
明教寺には三国時代の井戸があるそうなので探してみました。おそらくこれだと思うのですが…ガラスケースが結露して見えにくいし、特に説明パネルもない…。
教弩台は繁華街の中にあるので夜は周辺が賑やか。ライトアップも綺麗ですよ。ぜひ夜の教弩台も見てみてください。
合肥は魏軍が駐屯していた場所なので、市内にも曹操関連史跡が多く残されています。市内循環バスで見学して周れるので、1日合肥三国志遺跡観光オススメです。
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