2015年9月18日金曜日

曹操ゆかりの地を巡る旅 2日目 官渡古戦場

曹操と袁紹が激突した官渡の戦いは、まさに天下分け目の戦い。
この決戦で勝利を手にした曹操は天下統一へと目標を定めてゆく。寡兵で大軍を破ったこの戦い、曹操を巡る人間ドラマもまた面白いエピソードが多く、三国志の数ある戦の中でも屈指の名戦ではないだろうか。





官渡古戦場へ出陣!!


官渡の戦いの舞台は現在の地名も「官渡」となっている。現地の地図を眺めていると三国志に登場する地名は今でもほぼそのまま残っている。1800年も前の場所なのに、そのままその名を残しているということに感動するではないか。現在の官渡は河南省鄭州市中牟県に位置する。前泊した開封からバスで向かうことができる。

 戦の前の腹ごしらえ。開封の宋都御街の通りあるお店に案内してもらった。ちょうど昼時なのでお客さんで賑わっている。ザ・中華な店構えが良い。
 蒸し鳥にあげとちんげんさいの炒め物、羽つき餃子、そしてビール。昼間からビール!
 このラインナップではお酒があまり得意ではない私もちょっと飲んでみようかな~という気分になります。中国のビールはアルコール度数がちょっと低めで日本のものよりあっさりしている印象がある。これが中華料理の濃い味を中和してくれるので、その土地にあったお酒なんだろうな、と納得した。





 さて、しっかり食べたあとは曹魏ファンの聖地?官渡へ向けて出発。開封の長距離バス乗り場にタクシーで移動。長距離バスの乗り場は大きな街には複数あることが多く、目的地へ向かいバスがあるかどうか確認しておく必要がある。官渡へは中牟行きのバスに乗る。



 中型の観光バスくらいの大きさ。このバスターミナル、日本と造りがちがって中国だなと感じる。時刻表はなく、適当にお客さんが集まったら出発するというゆるいスタイル。さらにゆるいのは、バスが走り始めて市街地をやたらゆっくり走ると思っていたら、途中でお客さんを拾っている。バス乗り場というわけでもないのに道端でバスを待つ客がいるのに驚いた。
 開封の市街地を離れ、どんどん田舎へ向かっていく。田舎の村でお客さんが声を上げて降りて行くというフリースタイル。田舎への乗り合いバスはこのような感じらしい。小一時間ほど走ったところで、ロータリーが見えてきた。ここで大声を上げてバスの運転手に降りる意思を伝える。中国語ができる先生が一緒なので良いものの、自分でここまで来るのは無理ゲーだとひしひし感じてしまった。

 ここまでバス代8元。安っ!!バスはアームレストがぐらぐらだったり、イスが中途半端にリクライニングされたまま動かなかったり、なかなかのボロボロ具合だった。途中で人の乗り降りもあって、時間もかかるが値段が安い。時間のある貧乏旅行にはオススメですね。


官渡古戦場を歩く


 降り立ったロータリー中央には曹操の騎馬像が立っている。バスで向かうときはこの騎馬像を目印にすれば良い。曹操と言えば、無双ではプレイヤーキャラなので戦うイケオジだが、本国では恰幅の良い漢服のおっさんのイメージが強い。官渡では自ら兵を率いて烏巣に夜襲をかけるなどアクティブに動いているので、ここにある像は騎馬像なんでしょうね。漢服のおっさんでない曹操を見たのは初めてだったので感慨深い。馬の力強い躍動感がカッコイイ騎馬像です。結構年季が入っている印象があった。





 ロータリーから横道へ、官渡寺の看板が出ている。看板の方へ歩いて進む。この一帯が官渡ということで、自分が曹操VS袁紹の古戦場に立っているということに感動。1800年前はここに曹操の陣があったわけで、この辺に曹操がいたんですね。
 しかしこの官渡、めちゃくちゃ田舎ですよ。だだっ広い農道の左右には広大な農地が広がっている。ちょうど秋の収穫時期で道にトウモロコシ?を広げている。この様子、中国の田舎の風物詩です。のどかな風景に1800年前は戦場だったことが想像できませんね。



 果てしなく続く道、官渡リーロード…。遠いよ、この先には一体何があるんだろう。弱音を吐きかけたところで黒色の壁が見えてきた。近づいてみると官渡の戦いレリーフではないか。この黒いのは戦場で戦い兵士たち。曹の旗を持った兵や戦車、騎馬隊が入り乱れた様子を描いている。スゴイ!!けど汚い…。べたベタとチラシは貼ってあるし、生ゴミを燃やす煙にいぶされている。そして生ごみが臭い。酷過ぎて笑いがでた。



 レリーフを通り過ぎて、この先に曹操像があるというので元気を出して歩いていこう。畑の向こうに何か見えている。畑を横切って進むと、曹操像のシルエットが。



 おお、こちらもなかなかカッコイイ…けど。




なんだこれは。
 台座が剥き出しになっている。土が抉られているようだ。何でこんなことに!先生の話だと、この付近の人民の所業ではないかという。しかもこの像の周辺はゴミ捨て場になっているんですよ。便器まで捨ててあるし。英雄である曹操像の扱いの酷さに涙目になった。
 かつてここを訪れた遺跡ハンターの写真を見れば、像の周辺を柵が囲っており、曹操像は中央に立派に鎮座していた。それが数年後にこのザマだ。後に最近訪問した方の写真を見ると手にした剣すら無かったという。官渡の曹操像、このままでは倒れてしまうだろう。曹操像の扱いに本国で曹操は好かれていないという話のリアルを見た。(ただ近年は見直されており、ファンも増えているとか、いないとか)

 こちらは曹操が馬をつないだという木。記念碑が建っている。すごいなあ1800年も前の木が残っているのか…眉唾ものだが、そこは野暮を言ってはいけない。ここに曹操がいたというだけでスゴイことではないか。1800年前に曹操が踏んでいた土の上に立っている。この浪漫に感動できる妄想力が無ければ遺跡巡りはやっていられない。
 



 ここ官渡にはかつて官渡古戦場の博物館があったそうだが、現在は閉館していた。一度は観光名所として力を入れて見たものの、こんなド田舎に好き好んでくる人もいなかったようで目論見が外れたとみえる。三国志好きには聖地なんだけどなあ。知らなければただのド田舎の農村なので観光地にするのは無理ゲーだったのだろう。おかしなテーマパークを造られるよりはこの田舎の風景が守られる方が良いのかもしれない。ただ、曹操像は倒さないで欲しい。
 
 さて、官渡を満喫して足も死んだところで開封に戻るわけですが、帰りのバスをロータリーで待つこと1時間弱…乗り場もなくいつ来るとも知れないバスを待つ心細さはある意味強烈な思い出になった。タクシーもほとんど通らなかったんじゃないかな。ちゃんとバスに乗って開封に帰れました。これ一人旅では絶対に無理だ…!!開封では学生さんと一緒に大皿料理を食べました。




■官渡の戦い
 200年という超覚えやすい年のイベント。曹操VS袁紹の戦い。十数万という袁紹軍に対して曹操軍は一万にも満たない兵力だったということで、寡兵で大軍に勝利する曹操の見せ場でもある。この兵力差については後にツッコミが入っている。
 官渡は曹操側の陣。本拠地の許昌との位置関係を見ると官渡を突破されると結構マズイ状況ではあった。長引く戦いに曹操は弱気になって許昌の荀彧に撤退の相談をしている。しかし、荀彧は曹操の敗北は無いと信じて撤退を良しとしなかった。転機は突然訪れた。袁紹についていた許攸が袁紹を見限って曹操陣営にやってきた。袁紹軍の兵糧を集めた場所として烏巣の位置を知らせる。曹操はこの情報を信じ、自ら5千の精鋭を率いて烏巣を襲撃、兵糧を焼き払った。
 袁紹は失意のうちに吐血し、病に倒れた。曹操は河北一帯を制し、天下統一への足がかりを固めた。

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