2015年9月20日日曜日

曹操ゆかりの地を巡る旅 3日目 許昌郊外の三国志遺跡

 前年は許昌の東郊外の遺跡を巡り、本年は南郊外へ。曹操の子、曹丕が漢の献帝から帝位を譲り受けたとされる場所、受禅台の跡や徐庶の母の墓など粒ぞろいの遺跡があります。


許昌郊外の遺跡巡り

  許昌郊外へ向かうため、許昌駅からバスに乗る。バスは人数が集まったら出発するという気ままな旅。どれだけ待つのかと思いきや、そこそこ人が集まってきたので乗り込んで20分程度で出発できた。でもこの先、道端で乗りたい人を拾っていくので距離にしては時間がかかる。それでも中国のバスの安さは魅力。



 

  許昌市街地を走る間はかなりのスローペースで道端の客を探していく。客の方もこの辺を通るだろうということで待っているのだろうが、時刻表も無いのに待ち続けるという感覚は大陸時間とも言うべきか。私ならいつくるのか分からない乗り物を待つそわそわ感に押しつぶされてしまいそうだ。
 30分強で随分と田舎へやってきた。両側には広大な畑が広がっている。


曹操に殺害された献帝の皇后、伏皇后の墓

 許昌市街から15キロほど南下。田舎道でバスを降り(フリー停車…)、脇道へ入って行くと伏皇后の墓がある。
 伏皇后は献帝の皇后。先の曹操暗殺計画で董承・董貴人(献呈の皇后)が処刑されたことを受け、伏皇后は父の伏完に曹操に恨みを抱いているという内容の手紙を送った。その手紙の内容が漏れ、曹操は華歆に命じて伏皇后を捕えた。彼女は幽閉され、失意のうちに死去した。
 曹操は献帝の皇后を2名も殺害している。それだけ献帝を取り巻く人々に疎まれていたということ、そして皇后を処刑できるだけの権力があったということですね。





 黄色いのは豆畑だった。木立の中に伏皇后墓の文物碑が建つ。
 奥に見える小山が封土。結構大きい。封土にはくっきりと登山道がついていた。山があればそれが墓でもみんな登るんですね…!!せっかくと自分も登ってみると(登るのかよ…)広大な畑を見渡すことができた。その脇に廟が建っている。廟の中には女性の塑像が祀ってあった。





徐庶母墓

 伏皇后墓の道を挟んで向かいにあるのは徐庶の母の墓。
 徐庶は劉備を評価し、彼に諸葛亮を推薦した人物。母が曹操軍の捕虜となり、そのため自らは魏に使えた。没年は不明だが、曹叡の代まで生きたとされる。その母の墓がある。
 三国志演義では母の存在感が増すエピソードがある。曹操軍の捕虜となった母からの手紙を受け取った徐庶は曹操に下る。しかし、手紙は偽物であり、曹操に下った息子の不義を恥じた母は自害した。徐庶は曹操に献策しないと誓う。わざわざ母の墓があるということは、徐庶の孝行ぶりを記念して建てられたものと考えたら良いだろうか。
 これ読みは「じょぼぼ」になるのだろうか?風土は緑に覆われ、記念碑も覆い尽くされていた。



 こちらは関羽が許昌を発ち、初めに馬を繋いだ場所とされる。
中国全土に関羽の挙動を記念した場所があるのだが、ここもその一つ。残念ながら施錠されていた。

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曹丕が禅譲を受けた舞台、受禅台

 徐母墓に参った後に再びバスで南下。田舎街についてしばらく徒歩でようやく到着したのは受禅台。
 ここは曹丕が献帝から帝位を譲り受けた場所。400年続いた漢王朝が終止符を打たれた場所ということになる。 献帝からの譲位の申し出を3度断った後にこれを受けた。これはすぐに受けないよう見せかける様式美のようなもの。
 曹丕は弟の曹植との後継者争いで弟いじめの印象が強いエピソードが盛られており、陰湿で冷酷な印象をもたれがちだが、即位後は内政に力を注ぎ、国の基盤を固めている。
 曹操は皇帝の座につくことは無かったが、子のために禅譲の御膳立ては整えていたということだろう。曹丕の禅譲は曹操の死の年であった。えらく行動が早いが、これは曹操の意図したところなのかどうか。


  道沿いに立つ立派な文物碑。背後に見える高台が受禅台。トウモロコシ畑の中にある。あぜ道を通って近づいてみると、ここもしっかり登山道ができていた。近くに登るの禁止看板があったそうだが、みなさんそんなの関係ねえ!なんですね…。今は看板は無くなっていた。
 そういうことで私もちょっと失礼して受禅台に登ってみた。 



   高台の上は草がまばらに生えているのみ。きれいにならされて平地になっていた。ここで曹丕が皇帝となったんだと思うと胸熱。どの辺に立っていたんでしょうかね。現在の姿は畑の中にあるただの土の台でしかなく、大事な式典の催された場所としての当時の雰囲気は想像もつかない。漢の終焉を見つめた人々の想い、いかがなものだっただろうか。


 受禅台の近くに献帝廟があるが、施錠されていた。献帝廟には三絶碑があるそうだが、見ること叶わず…!!田舎の遺跡はタイミングとご縁が大事、また来てね!ということで諦めてバスで許昌に戻ることにした。田舎の遺跡巡りはとにかく歩く。前日の官渡から足へのダメージが大きくてつらい行軍だった。履きなれた靴で来たのだが、きちんとしたウォーキングシューズと5本指ソックスは必需品と分かった(泣)


許昌汽車駅の三国志絵

 夕方前に許昌駅に着いた。許昌駅は鉄道駅だが、正面にバスターミナルがある。その中に三国志の絵があるということで、案内してもらった。大きな公共施設なので、セキュリティチェックを通る必要がある。待ち合い室の壁にでかでかと三国志の絵が掲げてあった。
 劉備との会食や、春秋を読む関羽、覇陵橋での曹操と関羽の別れが絵巻になっている。これは全部許昌が舞台の故事。許昌は市内のいろんな場所に三国志に関するモチーフがあり、それを探すのが楽しい。




 夜ご飯は賑やかな食堂で。
 許昌で有名なおつまみとか、羊串を食べました。インゲンと茄子の炒め物は定番の家庭料理とか。中華料理の味付けってシンプルなのに美味いんだよな。





 遺跡巡りで足が死んだので足浴マッサージへ。中国のマッサージ、ハマります。足湯してくれるの気持ち良いし、剛腕で若干雑なのが個人的に好き。隣のスタッフとペラペラしゃべりながらテキトーにやってくれるのもこちらが気を使わなくて済む。価格は都市にもよるが日本の2/3くらいでしょうか。遺跡巡りに疲れたら足浴オススメです。



 

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