楊修は才能があり曹操に重用された。曹操の子、曹植と友好があり、彼を補佐した。のちに曹操に疎んじられ殺害されることになる。楊修の墓は華山のふもとにあった。
悲運の才 楊修
楊修は字を徳祖といい、謙虚で慎み深く、広い才能を持っていた。軍事、国政で携わったことが曹操の意に叶っていた。曹操の子、曹植は楊修と友好を結びたびたび手紙を送っている。曹植を後継者にするために彼を補佐した。曹植が気ままでけじめのないことから後に曹操にうとんじられるが、それでも楊修は曹植と関係を続けた。それが気に入らない曹操は楊修を殺害する。
三国志演義では抜きん出た才能があるが、それが仇となって曹操に殺害される鶏肋のエピソードが有名。漢中での劉備との戦いにおいて、曹操が呟いた「鶏肋」・・・鶏のあばら骨には食べるほどの肉はないが、捨てるには惜しいところ・・・をひとり理解し、早合点して撤退の準備を始めた。勝手な行動に怒った曹操は楊修を処刑する。
余談だが、ドラマ「軍師連盟」では司馬懿のライバルとして楊修が登場、なかなかの嫌な奴ぶりを発揮する。ちなみに楊修の存在を認識したのはドラマがきっかけだった。
楊修墓を探しに
三国志演義では漢中で処刑されているが、楊修の墓が華山のふもとにあるというので、華山観光がてら探しに行ってみることにした。華山駅に到着。華山観光をメインに現地ガイドさんに楊修墓へ行きたいとお願いしていた。しかし、どこにあるのか分からないし、華山で一日つぶれるだろうから難しいと思うという返事。
華山も観光したいし、仕方ないかと血涙を流す。しかし、高速鉄道華山北駅の前で地元のおっさんの白タクをつかまえたときに楊修墓へ行けないか交渉してくれた。おっさんも知らないと言うが、知り合いに聞いてくれるという。
田舎のネットワークに感謝だ。おっさんは地元の農家で、ヒマな時期は小遣い稼ぎに観光客を華山へ送るタクシー業務をやっているそうだ。おっさんのおかげで近くの住宅地へやってきた。
こんな感じの農村。たむろしていたおっさんによればこの先の道を曲がったところに楊修墓があるらしい。
それっぽい墓がたくさん並んでいるが、これはこの辺の農家の人の墓だ。奥まで行っても楊修の墓がない。この中に混じってるのもなんだか嫌だが・・・。もういちど地元のおっさんに聞けば、もう一つ向こうの道を入るんだって。
ここが入り口。もし訪問することがあればこの青い扉が目印ですよ、変わってなければだけど。ここは人ん家の敷地っぽい。畑が見えてきた。奥に石碑発見!
墓碑銘に楊修の名前がありました!う、嬉しい。ガイドさんと白タクのおっさんに感謝だ。楊修の墓は背後に華山を望むというなかなかのロケーション。相変わらずもやっているけど感激!その前には畑・・・ここ本当に他人の敷地内だ。
この近くに漢の城壁があるということで、これなんだけどこの上が畑になっていた・・・漢の城壁が畑に・・・。そのうち整備する予定もあるそうですが、どこの土か分からない土とまぜて形だけ作ってしまいそうな雰囲気がプンプンする。
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