合肥の戦いで知られる合肥市の郊外には周瑜関連の史跡、周瑜墓と周瑜城があります。周瑜城のある場所は周瑜の故郷でもあります。
容姿端麗、知略に長けた呉の武将
周瑜は三国呉の武将です。名家出身で容姿端麗、同い年の孫策とは固い友情を示す断金の交わりの関係でした。200年に孫策が死去し、弟の孫権が後継者となりました。周瑜は孫権に仕え、家臣の模範となる態度を示しました。
魏の曹操が勢力を伸ばしたときこれに抵抗し、赤壁の戦いでは曹操の船団を焼き討ちにしました。有名な赤壁の戦いの主役は周瑜でした。蜀を牽制しつつ魏との抗戦の最中、周瑜は36歳の若さで亡くなりました。孫権は大いに嘆いたそうです。
周瑜の墓は安徽省合肥市廬江県にあります。2016年当時は滴滴が無かったので、現地ガイドに依頼して連れていってもらいました。墓の前の大通りには周瑜大通と名前がついていました。
立派な牌楼。そのすぐ横にカラオケ店がありました。音楽を愛する周瑜とカラオケ店、なにやら浅からぬ縁を感じますね。
以前は門票が必要だったそうですが、無料で入れました。現在も料金案内は書いていないので、無料だと思われます。春だったので綺麗な花が咲いていました。
周瑜を称える回廊と周瑜墓
回廊に入ってみます。立派な衝立には赤壁で船団を率いる周瑜が彫刻されていました。大都督と赤文字でPRされています。周瑜ファンにはまさに聖地。
こちらが周瑜墓。墓碑には「呉名将周公瑾之墓」と金文字が刻まれていました。
周瑜の活躍を紹介する大理石の石版が並ぶ回廊。黒いので反射により写真が上手く撮れず。
最近は施設が綺麗になっているようで、ぜひ再訪したいです。
これほど立派な墓なので周瑜グッズなどお土産があるだろうと楽しみにしていたのですが、土産物店は滅びていました。当時の三国志スポットはだいたいこんな感じでしたね。今なら何か売っているかもしれません。
イケメンな周瑜像がある周瑜広場
周瑜墓から周瑜城へ向かいます。車で通過中にたまたま発見した周瑜像。カッコ良くて車窓からひと目で周瑜とわかりました。赤壁の火計をイメージした石版彫刻もあり、憩いの広場として整備されていました。
百度地図によると安徽省合肥市庐江县兆河路付近のようです。
周瑜が駐屯した周瑜城
さらに南下すると安徽省六安市舒城县に周瑜城があります。金文字の立派な文物碑が建っていました。その背後にあるのは古い文物碑です。そのまま設置してしまうのが中国らしいです。
文物碑の先に続く農道の先に畑と広場があり、周瑜像が建っていました。近くにさらに古い碑がありました。宝探しのようでワクワクしますね。周瑜がこの辺りに駐屯し、練兵したとされています。孫策と共に旗揚げをした場所だと思うと胸熱です。
周瑜城からの帰りに見つけた周瑜商城。周瑜デパートといったところでしょうか。三国武将の名前がついたスポットを見つけると嬉しくなりますね。
合肥市街で夕食
渋滞に巻き込まれながら合肥市街に戻ってきました。車をチャーターしていたのですが、時間超過料金が発生してしっかり徴収されてしまいました。
許昌の三国志遺跡を案内してくれた開封太郎先生と合肥の繁華街で待ち合わせ、夕食をご一緒しました。こちらは肉団子。
冬瓜の炒め物。中国で冬瓜料理を知って好きになりました。
モヤシと卵のスープ。中国のスープは洗面器くらいの器で出てくるので、一人のときには注文できません。
インゲンと茄子の炒め物。中華味で美味しい。
ミニ鉄鍋餃子。人数がいるといろんな料理を注文できるので楽しいです。一人飯ではこうはいかない。
合肥旅
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逍遥津の戦いの舞台、合肥を訪問しました。張遼像の立つ逍遥津公園、張遼墓、張遼衣冠塚、李典墓、周瑜墓、曹操教弩台、合肥新城など魏と孫呉ゆかりの地を紹介。行きがけの地味なハプニング模様が最初からクライマックス。
2016年の旅行記です。























