2015年9月22日火曜日

曹操ゆかりの地を巡る旅 5日目 曹操の故郷、亳州

曹操の故郷亳州には曹操に関する遺跡がたくさん残されている。亳州最終日はハイライトでもある魏武故里を訪問した。


曹操の故郷 魏武故里

亳州の建安路(この名前ですでに萌える!)沿いにある建安小学校の脇を入った住宅街に魏故故里がある。魏王様の故郷ということで、さぞや大邸宅の跡でも残っているのかと思いきや、記念碑としての銀杏の木と文物碑が残るのみ。

銀杏は立ち枯れ(ているように見える・・・)文物碑もコンクリで作られた古いもの。※現在は新しい黒い石のになっているみたい。それでも曹操の故郷にやって来られたというだけで感激だ。


老人会が催されていた。中国の遺跡あるある風景のひとつ。文物碑は年季が入っている。そしてその前に健康器具が設置されているという節操の無さが中国だなあとしみじみ実感してしまう。



夏侯の名を冠した通り 夏侯巷

亳州といえば、夏侯氏の故郷でもある。夏侯巷という通りが存在するのだ。巷は路地という意味合で、通りには夏侯の名前がついたお店や学校が建ち並ぶ。夏侯惇推しな私としてはこの通りを歩くだけで酸欠になりそうなほど興奮した。


夏侯小学校。丁度下校風景をみることができた。親御さんが迎えに来ていましたね。通いたいぞ夏侯小学校。

女装!?と驚くなかれ、レディースファッションの意味なのだ。ちなみにメンズファッションは男装。同じ漢字を使っていても意味が微妙に異なるのが面白いですね。ときどき二度見してしまいます。


曹操が屯田の監督をした東観稼台

亳州のバスステーション近くに東観稼台があります。ここは曹操が屯田を監督した場所とされています。西にもあるそうですが、今回は訪問せず。石碑だけが残ているのですが、完全に物置ですよ。物置というかむしろゴミ捨て場・・・。

亳州のバスステーション近くに東観稼台があります。ここは曹操が屯田を監督した場所とされています。西にもあるそうですが、今回は訪問せず。石碑だけが残ているのですが、完全に物置ですよ。物置というかむしろゴミ捨て場・・・。

駅前で靴磨きをしていた。こういう生活感のある風景もまた良い。


哀れ魏の桃園 八角台

八角台は魏版桃園の誓いの場所。建安7年に故郷に戻った曹操は故郷の兄弟たち(夏侯惇や課夏侯淵や曹洪、曹仁らと思われる)と血盟の誓いを立てたという魏ファンには聖地のような場所・・・だが、訪問当時は公園として整備される前だったようで、雑草生い茂り、土砂が積み上がる工事現場なのだった・・・。


ある意味こういう風景も記録画像として貴重かもしれない。ちなみにこの辺は野良犬がうろうろしており、爆弾がたくさん落ちているのだった・・・。魏の桃園の扱い!!現在は綺麗な公園になって立派な記念碑が建っているそうですよ。武将の銅像でも建ててほしい!


公園計画の看板。訪問当時はいるできるんでしょうね~と太郎先生が半笑いだったのを覚えている。看板はかなり日焼けしておりそのまま立ち消えになるのでは、と危惧されたが無事に整備されて良かった。




2015年9月21日月曜日

曹操ゆかりの地を巡る旅 4日目 曹操の故郷、亳州

安徽省亳州は曹操の故郷で、関連する遺跡が市内に点在する曹操ファンならぜひ訪問したい街。夏侯惇、夏侯淵、曹仁らの故郷でもある。


亳州へのアクセス

 亳州市へのアクセスは主要都市からの列車やバスとなる。鈍行列車で亳州駅に行くか、商丘まで高速鉄道で行き、そこから亳州まで列車やバスという手段がある。鄭州から鈍行で向かうことができるが、乗車時間が長いのとあまり本数がなく、かなり不便。2020年には高速鉄道が開通予定らしいので、開通すれば随分行き易くなるだろう。
 今回、我々は許昌からタクシーで向かうことにした。タイムイズマネーということですね。かなりの無茶ぶりだったと思う。引率してくれた先生曰く、感覚的には東京ー名古屋くらいの距離というから日本ではできない技だ。この時の料金、確か800元だったかな。運転手さんは許昌まで帰らないといけないので大変だったと思う。
 許昌の街を出る前にプロパンを充填するタクシー。高速道路を飛ばして安徽省へ突入した。



三国時代推しの亳州博物館

 最初に訪問したのは亳州博物館。
 パスポートを見せて無料で入ることができる。亳州出身の偉人達の胸像がお出迎え。我らが曹操の他、華陀や老子もこの地の出身なんですね。中国どこかに有名人ゆかりの地があるのがスゴイ。この曹操は威厳たっぷりでかなりのイケメソ。 そのうち夏侯惇の胸像も作ってくれないかな…。


 館内に入ると曹操、曹丕、曹植の三曹の像にテンションが上がる!!曹操の故郷だけあって、三国時代を推してくる。この地で発掘された漢墓からの出土品などが展示されていた。規模はそう大きくは無いが、三国志好きならぜひとも訪れたい博物館だ。ミュージアムショップにはさぞ曹操関連グッズがあるのではと楽しみに覗いてみたが「そんなものはないよ」というおばちゃん店員の言葉にガックリ…!!

 博物館を出て街歩きしていたら発見した「魏武香油」の看板。亳州では魏武香油というごま油が特産品としてある。曹操はあまり人気が無い印象があるが、さすが故郷、このような商品もあるんですね。他にも曹操の名をつけた食品があった。お土産店では大きな箱パッケージで売られており、ちょっと手を出しづらいが、地元スーパーに行けば案外ばら売りされている。お土産ものを探すなら地元の人が買い物をする場所が穴場。


亳州市内の三国志遺跡

 亳州は曹操関連の三国志遺跡の宝庫。曹操と魏が好きならぜひとも訪問して欲しい。こちらは曹操運兵洞。曹操が兵を隠すために作ったとされる古代の地下軍事施設。地上の建物は資料館になっており、最上階からは亳州市内が一望できる。

 こちらが地下の運兵洞。本当はかなり広いそうだが、観光できるのはその一部になっている。あまり広くても迷ったら怖いのでそれで良いですよ本当に。人が何とかすれ違える程度の幅で石造りの壁が続いている。閉所恐怖症だとちとキツイやも。


 運兵洞は地上の建物の地下が入り口になっており、このライトアップが出迎えてくれた…。どうしてこう無用にキレイにしちゃうのか!?最初見たときほあっ!?って変な声出た。このままこのショーパブのような通路が続くのかと思いきや、すぐに普通のらしい地下道になったので安心した。

 資料館の展示。海を初めて観た感動を顕わした「観滄海」という曹操の詩をモチーフにした展示。この曹操像はなかなかカッコイイ。しかし、この曹操は壮年というよりもう老年に見える。65歳まで生きているが、当時の中年はこのくらいの容姿だったのだろうか。

 漢中に残されているという曹操の直筆文字。岩に残したとされ、この字は複製。なかなか妙味な筆致ですね。味がある。1800年前の人物の筆跡が残っているというのも怪しいですけどね。信じるもまた浪漫なのであります。戦中でも兵法に註をつけ、文学を好んだだけあって文字はきれいだったのでは。だといいな。


 市内には曹家の墓所が点在している。ちなみに曹操は鄴城西の安陽に眠っている。曹騰は曹操の祖父に当たる。祖父は宦官であった。こちらは市内にある曹騰墓。建物の中から地下へ降りることができる。中はいくつかの部屋に分かれており、銀縷玉衣が申し訳程度に展示してあった。これ地下の薄暗い場所で見るとかなり不気味…!!人間をすっぽり覆う鎧みたいな感じなんですが、ちょっとしたトラウマになりそうw


 



 こちらは曹操家族墓。誰の墓か特定されていないのか家族墓となっている。規模は曹騰墓と同じくらい。地上の封土と地下室が見学できる。すり減ってほとんど見えないが石室の彫刻が貴重だそう。これまで三国志遺跡で封土はいろいろ見てきたが、地下に部屋があるとは知らなかった。

 
 

 こちらは魏武広場という捗るネーミングの公園。人民の憩いの場になっている。このカッコイイ石碑は実は台座で、そのうち曹操像が載ることになると聞いていた。2019年現在完成しているそうだが、どうなっているのだろう。 この広場には三国志を中心とした人物のパネルが設置されており、夏侯惇や夏侯淵などそうそうたる亳州出身の武将たちが並んでいた。


 曹操公園。なんというネーミング。こんなに曹操をフィーチャーしてくれる街は許昌と亳州くらいです。この公園は博物館の横に位置する。ここまで紹介した場所はかなりコンパクトにまとまっているので、一日で観光できる。曹操ゲシュタルト崩壊するくらい曹操三昧できるので亳州は最高です!!ここには魏武祠という資料館と曹氏孤堆がある。曹氏孤堆も曹家の墓で、公園内に封土を見ることができる。魏武祠の曹操もなかなかカッコイイ。





 最後にぽってりした曹操像のある亳州駅。見れば頬笑みが零れるこの姿。亳州駅は高速鉄道の駅ではないので小じんまりしている。駅前に建つ街のシンボルとなっている。


2015年9月20日日曜日

曹操ゆかりの地を巡る旅 3日目 許昌郊外の三国志遺跡

 前年は許昌の東郊外の遺跡を巡り、本年は南郊外へ。曹操の子、曹丕が漢の献帝から帝位を譲り受けたとされる場所、受禅台の跡や徐庶の母の墓など粒ぞろいの遺跡があります。


許昌郊外の遺跡巡り

  許昌郊外へ向かうため、許昌駅からバスに乗る。バスは人数が集まったら出発するという気ままな旅。どれだけ待つのかと思いきや、そこそこ人が集まってきたので乗り込んで20分程度で出発できた。でもこの先、道端で乗りたい人を拾っていくので距離にしては時間がかかる。それでも中国のバスの安さは魅力。



 

  許昌市街地を走る間はかなりのスローペースで道端の客を探していく。客の方もこの辺を通るだろうということで待っているのだろうが、時刻表も無いのに待ち続けるという感覚は大陸時間とも言うべきか。私ならいつくるのか分からない乗り物を待つそわそわ感に押しつぶされてしまいそうだ。
 30分強で随分と田舎へやってきた。両側には広大な畑が広がっている。


曹操に殺害された献帝の皇后、伏皇后の墓

 許昌市街から15キロほど南下。田舎道でバスを降り(フリー停車…)、脇道へ入って行くと伏皇后の墓がある。
 伏皇后は献帝の皇后。先の曹操暗殺計画で董承・董貴人(献呈の皇后)が処刑されたことを受け、伏皇后は父の伏完に曹操に恨みを抱いているという内容の手紙を送った。その手紙の内容が漏れ、曹操は華歆に命じて伏皇后を捕えた。彼女は幽閉され、失意のうちに死去した。
 曹操は献帝の皇后を2名も殺害している。それだけ献帝を取り巻く人々に疎まれていたということ、そして皇后を処刑できるだけの権力があったということですね。





 黄色いのは豆畑だった。木立の中に伏皇后墓の文物碑が建つ。
 奥に見える小山が封土。結構大きい。封土にはくっきりと登山道がついていた。山があればそれが墓でもみんな登るんですね…!!せっかくと自分も登ってみると(登るのかよ…)広大な畑を見渡すことができた。その脇に廟が建っている。廟の中には女性の塑像が祀ってあった。





徐庶母墓

 伏皇后墓の道を挟んで向かいにあるのは徐庶の母の墓。
 徐庶は劉備を評価し、彼に諸葛亮を推薦した人物。母が曹操軍の捕虜となり、そのため自らは魏に使えた。没年は不明だが、曹叡の代まで生きたとされる。その母の墓がある。
 三国志演義では母の存在感が増すエピソードがある。曹操軍の捕虜となった母からの手紙を受け取った徐庶は曹操に下る。しかし、手紙は偽物であり、曹操に下った息子の不義を恥じた母は自害した。徐庶は曹操に献策しないと誓う。わざわざ母の墓があるということは、徐庶の孝行ぶりを記念して建てられたものと考えたら良いだろうか。
 これ読みは「じょぼぼ」になるのだろうか?風土は緑に覆われ、記念碑も覆い尽くされていた。



 こちらは関羽が許昌を発ち、初めに馬を繋いだ場所とされる。
中国全土に関羽の挙動を記念した場所があるのだが、ここもその一つ。残念ながら施錠されていた。

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曹丕が禅譲を受けた舞台、受禅台

 徐母墓に参った後に再びバスで南下。田舎街についてしばらく徒歩でようやく到着したのは受禅台。
 ここは曹丕が献帝から帝位を譲り受けた場所。400年続いた漢王朝が終止符を打たれた場所ということになる。 献帝からの譲位の申し出を3度断った後にこれを受けた。これはすぐに受けないよう見せかける様式美のようなもの。
 曹丕は弟の曹植との後継者争いで弟いじめの印象が強いエピソードが盛られており、陰湿で冷酷な印象をもたれがちだが、即位後は内政に力を注ぎ、国の基盤を固めている。
 曹操は皇帝の座につくことは無かったが、子のために禅譲の御膳立ては整えていたということだろう。曹丕の禅譲は曹操の死の年であった。えらく行動が早いが、これは曹操の意図したところなのかどうか。


  道沿いに立つ立派な文物碑。背後に見える高台が受禅台。トウモロコシ畑の中にある。あぜ道を通って近づいてみると、ここもしっかり登山道ができていた。近くに登るの禁止看板があったそうだが、みなさんそんなの関係ねえ!なんですね…。今は看板は無くなっていた。
 そういうことで私もちょっと失礼して受禅台に登ってみた。 



   高台の上は草がまばらに生えているのみ。きれいにならされて平地になっていた。ここで曹丕が皇帝となったんだと思うと胸熱。どの辺に立っていたんでしょうかね。現在の姿は畑の中にあるただの土の台でしかなく、大事な式典の催された場所としての当時の雰囲気は想像もつかない。漢の終焉を見つめた人々の想い、いかがなものだっただろうか。


 受禅台の近くに献帝廟があるが、施錠されていた。献帝廟には三絶碑があるそうだが、見ること叶わず…!!田舎の遺跡はタイミングとご縁が大事、また来てね!ということで諦めてバスで許昌に戻ることにした。田舎の遺跡巡りはとにかく歩く。前日の官渡から足へのダメージが大きくてつらい行軍だった。履きなれた靴で来たのだが、きちんとしたウォーキングシューズと5本指ソックスは必需品と分かった(泣)


許昌汽車駅の三国志絵

 夕方前に許昌駅に着いた。許昌駅は鉄道駅だが、正面にバスターミナルがある。その中に三国志の絵があるということで、案内してもらった。大きな公共施設なので、セキュリティチェックを通る必要がある。待ち合い室の壁にでかでかと三国志の絵が掲げてあった。
 劉備との会食や、春秋を読む関羽、覇陵橋での曹操と関羽の別れが絵巻になっている。これは全部許昌が舞台の故事。許昌は市内のいろんな場所に三国志に関するモチーフがあり、それを探すのが楽しい。




 夜ご飯は賑やかな食堂で。
 許昌で有名なおつまみとか、羊串を食べました。インゲンと茄子の炒め物は定番の家庭料理とか。中華料理の味付けってシンプルなのに美味いんだよな。





 遺跡巡りで足が死んだので足浴マッサージへ。中国のマッサージ、ハマります。足湯してくれるの気持ち良いし、剛腕で若干雑なのが個人的に好き。隣のスタッフとペラペラしゃべりながらテキトーにやってくれるのもこちらが気を使わなくて済む。価格は都市にもよるが日本の2/3くらいでしょうか。遺跡巡りに疲れたら足浴オススメです。



 

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